【vol.6】メンタルヘルスを考える国際デー【うめのたね】

うめのたね
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こんにちは、うめです。
昨日の朝スマホを見るとGoogleplayからのお知らせが。

 

G「本日は世界メンタルヘルスデーです。不安、睡眠、セルフケアなどに関するアプリを見つけましょう」

 

というもの。
世界何とかデーって毎度言われるまで知らないものなのですが、例にもれずメンタルヘルスデーのことも知りませんでした。
何となく国際デーを調べたらめちゃくちゃあるんですね!
それだけ世界的にあれこれ問題が多いということですね。
メンタルヘルスの問題は身近なので、何となく調べてみました。

 

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世界メンタルヘルスデーとは?

世界メンタルヘルスデー(せかいメンタルヘルスデー、英: World Mental Health Day)は、メンタルヘルス問題に関する世間の意識や関心を高め、偏見を無くし、正しい知識を普及するために定められた国際デー(記念日)
オランダに本部を置くNGOの世界精神衛生連盟(WFMH)が、1992年にメンタルヘルス問題に関する世間の意識を高め、ネガティブなステレオタイプ化に反論し、人々に体験発表の場を与えることを目的として、10月10日を「世界メンタルヘルスデー」と定める。その後、国連機関の世界保健機関(WHO)も協賛し、正式に国際デー(記念日)と認められる。
現在は世界各地でメンタルヘルスに関連する啓発イベントなどが行われる。
(wikipedia)

 

意外と歴史があるのですね!

92年と言うことはもう30年近く前からメンタルヘルス問題がこのような形で取り上げられていたのですね。
確かに以前に比べて「鬱です」と声を上げる人も増えてるし、理解も少しずつ進んでいるのかもしれませんが相変わらず停滞状態なのでは…?
となんとなく肌感覚ではそんな気持ちになる部分があります。

イタリアにできて日本にできていないこと…

 

今回これをきっかけに初めて知った事実なのですが「精神科の病床世界一は日本」ということです。
なんと32万床、これは世界の約1/5だそうです。
そんなにも…
患者数の内訳なんかをよく見ると減少している部分もあるようですが、全体的にはほとんど変わってないのが現状なようです。

 

この時同時に「イタリアには単科精神病院がない」ということも知りました。
北イタリアの精神科医フランコ・バザーリアが始めた「単科精神科病院を廃絶する」という活動が、78年には改革法「バザーリア法」を制定させ、1998年には精神病院が姿を消すという結果につながったようです。
地域社会による受け皿を作ったようなのですが、そんなの一筋縄でいくはずがありません。
イタリアの人たち一人一人がこの問題に向き合った結果なのだと思います。
もちろん精神科自体が無くなったわけでなく、苦しんでいる方はやはりたくさんいるのだといいます。
でも「どうやって心の苦しみに向き合うのか」「その苦しみは何なのか薬で治るのか」ということを徹底的にみんなで考えることをしたというのが、結果として心の苦しみと闘う一人一人の尊厳を守ることに繋がっているというのが大事なことだと感じました。

 

しかしイタリアはすごいことをしますね。
イタリアは憧れの国で、外国語で一番何が好き?って言われたら即答で「イタリア語!」って答える程度には好きなのですが、「チャラチャラしたり古いことにこだわって、あんまり生産性のない国」というイメージも持っていました(そういうところもすきなんですが)。
でも私たちの常識じゃ考えられないことをぽーんとしでかしてしまう人たちだと、これを聞いて感じました。
「そんなの理想だ、机上の空論だ」と言われるようなことを成し遂げてしまったのですから、イマジネーションを大切にしているお国柄もあるのかなあとか思ったり。
総合病院の中には精神科があるそうですが、私も単科は減らして総合病院の精神科を拡充した方がいいんじゃないかなあと思います。
精神ってそれ1つでは成り立たないのではと思います。
身体の内側や外側の刺激どちらにも影響を受けるものだと思うので、できるだけ他と連携とれるほうがいいんじゃないかなって。
もちろん、コミュニケーションひとつとっても全く違うイタリアと日本を単純に比較することはできませんが、できるかぎりそういう方向に進んでいってほしいです。

 

 

日本人には心のよりどころが必要だと思うけど…

 

しかし世界の1/5もの精神科病床を抱えて、日本はこんなに病んでるのに心のよりどころがないってのもなんだかなあと思います。
いや、実際にはあるんだけど頼れない状況と言うか。
宗教にしても伝統的なのがあるにもかかわらずカルトがはやるし、精神病院には偏見が根強いし。
今回ちょこっと調べて、これは別に今に始まったことでなく行動経済成長のころにはすでにそうだったらしいということにも驚きました。
精神に異常をきたした人は精神科病院に丸投げだったようです(言いすぎでしょうか…)。
以前に比べれば身近になったような精神科ですが、そういう「とりあえず感」はいまだに変わっていないのではないでしょうか。
中には本来薬すら必要ない人もいるのに、その人たちの苦しみの受け皿がないというのが辛いところだと思います。

 

多分ほとんどが身体的な影響と言うより「よりどころのない不安」からくる社会的なものが大きいのだろうと思います。
私の身近で最近元気な人たちを見ていると、みんな自分なりの心のよりどころを持っています。
何かに頼るというのを日本人は良しとしない傾向にある気がしますが、トータルでバランスが取れればそれでいいんじゃないかと最近よく思います。

 

前述のイタリア人医師のフランコ・バザーリアについて、彼の信じる人間哲学として「人は自分の狂気と共存できる」というものがあるという話を見かけました。詳しい人は分かるのだと思いますが、サルトルやフッサールの考えを大事にしていたそうです。
それを聞いて心にすとんと落ちてくるものがありました。
内に向くか外に向くか以前に、狂気を持たない人なんていないと思います。
問題はそのバランスで、どうやって付き合っていくのかという話で。
良いことと悪いことのバランスが自分の心がゆがんでしまわない程度に取れていて、そのために必要な心のよりどころであるならば、それが科学であろうが哲学であろうが宗教であろうが構わないと私は思います。

でも問題はそう簡単にそのよりどころにたどり着けないということ。
生活を満たすはずのよりどころが生活を侵食することもあるということ。
人の助けが必要と言っても、自分から立ち上がらなければ多分この構造は変わらないんですよね…。
立ち上がったときにできるだけ迷うことなく、少ない道順で自分のよりどころにたどり着けたら…。
個人的には誰にとっても中立で身近であるべき科学(医学)がそのディレクション役であってほしいなとは思います。

 

助けを求めてもがいてる人が今の場所を離れても大丈夫だと思える程度まで行動を制限するような心理的なハードルが下がること、今よりもスムーズに自分に合った心のよりどころを見つけられるようになること、そして「自分で生きられる(一人で立てるし、人にも頼れる)」っていう漠然とした心を信じられるような社会が来るといいなと心の底から思います。

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