こんにちはnoraです。
現在『英語は逆から学べ!』をベースに英語とロシア語を勉強しています。
英語学習でこの本を参考にした際は理解力不足から失敗してしまいました。
失敗のいくつかはこの学習法に対して抱いた『抵抗感』から来るものでした。
今日はそのうちの一つ、『辞書を使うな』ということについて書いてみます。
耳で音が理解できるようになるまで(対訳の)辞書を使ってはいけない
辞書を使ってはいけない理由
辞書を使ってはいけない理由として大きく次の2つが挙げられています。
- 日本語の神経回路を活性化させないため
- 意味は状況にしかない
1は脳が新しいことを学習する際に必要な処理とのことで、これ自体は理解できました。
とはいえこれも既存の英語学習の殆どを否定することになるので、実践には常に不安がありました。
さらに問題なのは2の方です。
『意味は状況にしかない』はどういうことかという話ですが…
話し言葉ならば『発話状況(視覚情報等を含む)』に、書き言葉なら『文章全体』がこの状況にあたります。
『言葉の意味は状況が定義しており、辞書的な意味を充てたところでそれが本当に正しい文章かはわからない。』
というのが著者の主張です。
「そう言われても…」というのが素直な感想でした。
『意味は状況にしかない』といわれても…
私が感じたのは次のようなことです。
「たしかにそりゃそうかもしれないけど、それじゃ話の内容がなかなか理解できないのでは…」
「辞書を使わないならどうやって語彙を増やすんだろう…」
「書かれていることそのものを理解することも大事なのでは…」
今になって思うと、こういう疑問を持つこと自体、自分自身の目的をはっきりさせることができていなかったからだなと感じます。
学校の『英語』≠英語学習
上のような疑問を拭いきれなかった、その根底にあるのは学校で習う教科としての『英語』です。
単語の意味を書きなさい、和訳しなさい、英訳しなさい……
これらに強迫観念にもにた重要性を感じるのはまさに、『これをやらないと点が取れない』というところから来ているのかもしれません。
実際、学校のテストから解放されても、英語力を示そうとTOEICなどのテストを受け続けますよね。
TOEICに上記の問いは出てきませんが、これらがベースになった勉強法を続けている人が多いと思います。
翻訳は特殊スキル
とはいえ実際に和訳や英訳をする場面では辞書的な直訳はNGですよね。
あくまでも両方の文化的背景やニュアンスを両方理解した上で、状況に近い言葉を探し出して充てるといった力が必要になります。
結局、『状況の中にある意味を取る』という力が求められている気がします。
というか大学入試の英語ですら、
『構造を把握して正しく読み取り、大まかな骨組みを作り、自然な日本語にしましょう。直訳ではいけません』
『自然な日本語にするには、状況がわからないといけません。そういったテーマの本を予め読んで語彙を増やしておくといいです』
といったようなことが書かれていたりします。
結局状況わからないといけないし、なおかつこれじゃ日本語の勉強では…
こんな翻訳スキルに近いものを求める大学ばかりではないと思いますが、ここまで行かずとも学校でやる『英語』は言語習得を目的とした英語学習とは分けて考えるべきなのかもしれません。
新たに他の言語を習得したいとなったときは英語に比べると強制的なテストの機会は少ないでしょうから、なおさらこれまでの学習法とは距離を置いたほうがいいのではないかと思います。
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