こんにちはnoraです。
現在『英語は逆から学べ!』をベースにロシア語を勉強しています。
英語学習で参考にした際は理解力不足から失敗してしまいました。
失敗のいくつかはこの学習法に対して抱いた『抵抗感』から来るものでした。
今日はこのうちの一つで『文法を学んでも言語を学ぶことにはならない』について書いてみます。
英語は逆から学べ!への抵抗感②文法を学んでも仕方ない
文法を学んでも言語を学ぶことにならない理由
- 文法はそもそもどの言語でも確立されていない
- 学校で学ぶ文法はネイティブが学ぶ『規範文法』
正直「?」の連続でした。
だって私たちは外国人なわけで、外国人である私たちが効率よく外国語を学ぶには文法を知って構造を掴むのが合理的なはずで…だからいやでも文法は覚えるしかないわけで…
それがそもそも確立されていないとは…!?
言語学では文法は確立されていない
言語学において文法とは『統語論分析の結果としての言語を定義する解析の系』だといいます。
要は自然な言語を分析して作られた統一的なモデルということですが、これはこの本が書かれた時点では確立されていないと明言されています。
この本は10年程前に発売されたものですが、多分今もそう変わっていないのではないでしょうか。
また、文法を学んでいきつく先は言語学における文法であり、これはあくまでも言語を分析する学問です。
言語運用の取得が目的であれば、これはあまり意味がないかもしれません。
学校で学ぶ文法はネイティブのための規範文法
では学校で学ぶ文法では何かというと、あれは規範文法と呼ばれるものだそうです。
これは統語論的な文法とは違い、『その言語のネイティブが規範的なスタイルを学ぶためのもの』だそうです。
つまり本来はすでにその言語を運用できるネイティブが理想的な文章を作るのために学ぶものなのです。
私たちが学校で日本語について主語だ述語だと学ぶようなものだということですね。
特に日本で学ぶものは明治時代に導入された19世紀イギリスの規範文法がベースになっており、これがずっと維持されているそうです(今はどうかわかりませんが…)
ネイティブのためのものだということは、本来であれば言語運用がある程度可能になる7,8歳レベルの運用能力を身に付けてから学ぶべきもの…ということになりますね。
文法≦ネイティブの言語運用
結局、統語論的な文法は学問だから学んでも意味ないし、規範文法はある程度話せるようになってからが好ましい…
ということは、言語を学ぶのであれば『ネイティブを真似する』がベストということなのです。
そもそも、ネイティブによって自然に運用される言語を分析することで文法は作られていきますから、常に現在わかっている文法よりもネイティブの言語運用の方が正しいともいえます。
でもこういうと、「ネイティブのいる英会話スクールに行ったけど結局喋れるようにならなかったぞ!」という反論が浮かんできます(; `▽´)
これは私もそうだなあと思っていて考えていたのですが…
英会話スクールに行くというのは当然「会話ができるようになること」が目的です。
でもこの本で触れられているのは多分、その前段階からです。
話せるようになる前段階として、ネイティブが実際に運用している状況に十分な時間触れる必要があるということではないかと思います。
英会話スクールでは週に1,2時間とかですから結局のところ全然足りないということですね。
逆に合宿したり短期集中でプレッシャーかけられたりした人は結果を出してると思うので、やっぱりその言語に十分な量触れるのが必要なのでしょう。
昔はともかく今は海外ドラマがある
昔は留学をしたり、常にネイティブと接していられる環境に身を置ける人は限られていたので、ネイティブと同じように学ぶということ自体現実的ではなかったと思います。
ネイティブのいる英会話スクールが主流になってからも、せいぜい週1,2で1時間程度の通学などでは7,8歳の運用レベルになるまでには相当の時間がかかったはずです。
つまりこれまではネイティブと同じように学ぶという方法は誰にとってもできる方法ではなく、その点規範文法を学ぶことには一定のメリットがあったのだと考えられます。
でも今は海外ドラマがありますよね。
家族の知人に、「国際結婚をしてアメリカに渡ったけれど英語が喋れず、夫がいない間は一人家にいて訳も分からずぼんやりテレビを見続けていた。気が付いたら英語が喋れるようになっていた。」という体験をした人がいます。
これは、たしかこの本(著者の別の本だったかも…?)でも似たような例が挙げられており、決して珍しい現象ではないと思うのです。
海外ドラマであれば、時間さえうまく確保できれば今は誰にだって入手することができます。
もう、素直に文法書は一旦脇に置いてもいいのかもしれません。
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